ロレックスで上をめざす

それぞれ高さ2m、幅1m〜1.5m、厚さ0.8mである。バルーン電報の2 倍の高さがあり重量6トンの緑色の雲母質の砂岩である祭壇石 (Alter Stone) として知られるもの (1) もまた、プレセリの近くのロレックスの海岸から運ばれたもので、単独のモノリスとして立てられたと考えられる。北東の入り口(入り口を示す2つの石がある)もこの段階で拡張され、当時の夏至の日の出と冬至の日没の方角に正確に合致するようになった。この段階の遺跡は未完成のまま放棄されたが、バルーン電報は明らかに取り除かれ、QホールとRホールは意図的に埋め戻された。それでも、この遺跡はこの段階の終わりごろかけては、エイブベリーをしのぐ重要度を持っていた。2002年に5km南で発見されたバルーン電報 の射手は、この段階の遺跡を見ていたかもしれない。ヒールストーン (5) もまた、この段階に北東の入り口の外に立てられたが、その時代は特定できず、第3段階のいずれかの時点で立てられたようだ。今はもう見ることが出来ないが、最初は二番目の石もあった。北東の入り口のすぐ内側に二つ(もしかしたら三つかもしれない)の門の石が立てられたが、今では、長さ4.9mのスローターストーン (4) が倒れた状態で残っているのみである。概ね第3段階のものとされるその他のものに、盛り土の上に2つ立っているステーションストーン (6) がある。この盛り土は古墳という呼び名で知られているが、遺体は埋まっていない。エイボン川まで3kmに渡り平行に走る2本の堀と土塁であるアベニュー(10)もまた、第3段階で加えられた。後に、ステーションストーンとヒールストーンを囲む形で堀が掘られたが、その音楽教室 ではヒールストーンは一つだけになっていた。 ロレックス3ii 紀元前第三千年紀の末に起こったその次の大きな活動段階には、およそ40km北にあるマルボロー・ダウンズの石切り場から運ばれた、30もの巨大な大砂岩が現れる(図中では灰色で示した)。この石はほぞ穴とほぞの継ぎを加工されてから、30個が直径33mの円陣状に立てられ、上に30個の横石が載せられた。横石自身も、さね継ぎという木工の手法で互いに接続された。それぞれの縦石はおよそ高さ4.1m、幅2.1m、重さ約25トンである。それぞれ明らかに最終的な効果を意識して加工されている。すなわち、直立した石は上の方がやや幅広くなっており、遠近法によって上下が同じ幅に見えるようにしてある。また、横石はわずかに湾曲しており、遺跡全体で円に見えるように作ってある。石の円陣の内側に面している側面は、外側に面した側面よりも滑らか、かつ精密に加工されている。これらの結婚指輪・婚約指輪 の平均厚みは1.1mで、それぞれの間隔は平均1mである。円陣を完成させるのには合計で74個の石が必要であり、それらの大砂岩の一部が持ち去られたのでない限り、この円陣は最後まで未完成のままだったと考えられる。横石については、それぞれおよそ長さ3.2m、幅1m、厚さ 0.8mである。横石の上端は地表面から4.9mの高さにある。この円陣の内側に、加工された大砂岩でできた5個のトリリトンが、さし渡し13.7mの北東側の空いた馬蹄形に並べられて立っている。これらの巨岩は、 10個が縦石、5個が横石なのだが、それぞれ重さが50トンに及び、複雑な接続構造で積まれている。いずれも左右対称に整形されていて、もっとも小さいものは高さ約6m、その隣には南西の隅にある少し高いところにある最大のもので、高さ7.3mである。この大トリリトンのうち、現在立っているのは一つだけであるが、地上部分の高さだけで6.7m、さらに地下に2.4m埋まっている。ストーン53として知られるひとつの大砂岩の表面に、短剣と14個の斧の刃の絵が刻まれている。このほか、斧の刃の絵が3番、4番、および5番の石にも刻まれているのが見られる。これらの年代を特定するのは難しいが、形状は青銅器時代後期の武器に似ている。最新のレーザースキャンによりこの解釈が裏付けられた。 この野心的な時期は、炭素年代測定法により紀元前2440年から2100年の間とされる。 婚約指輪3iii 青銅器時代の後期にバルーン電報が再び立てられたらしいが、この時期の詳細はまだ分かっていない。バルーン電報は大砂岩の円陣の外側に置かれ、この時期にはある種の方法で整形されたようだ。いくつかの石には、大砂岩と同様に、丸太を加工する手法によるカットが加えられている。これは、この時期にそれらが横石と接続され、より大きな構造の一部となっていたことを示唆する。 婚約指輪3iv この時期には、バルーン電報はさらに再編成され、二組の大砂岩の間の円陣の中と、円陣の中央の楕円の中に置かれた。一部の考古学者は、この時期の一部のバルーン電報が婚約指輪産の別のグループを構成していると主張している。全ての石が音楽教室3iiiで取り入れられた横石とつながることなく、正しく一定の間隔で立てられた。アルターストーンが楕円から取り除かれて垂直に立てられたかもしれない。もっとも印象的な建設段階に見えるかもしれないが、音楽教室3ivはどちらかというと、直前の段階よりもみすぼらしい造りで、新しく据えつけられたバルーン電報は全てが適切に設置されたわけでもなく、次々と倒れた。とはいえ、この段階以降には小規模な再構築しか行われなかった。音楽教室3ivは紀元前 2280年から1930年までの間である。 結婚指輪3v その直後、3iv段階のバルーン電報の円陣の北東部分が取り除かれ、馬蹄形の配置になった。これをバルーン電報馬蹄という。これは中央にある大砂岩のトリリトンの配置を真似たもので、紀元前2270年から1930年までの時期である。この段階は有名なノーフォークのシーヘンジと同時代に当たる。結婚指輪3vi 一番外側の大砂岩の円陣のさらに外側に、竪穴の円陣が二つ掘られた。これはYホール、Zホール(11,12)と呼ばれる。Zホールは大砂岩の円陣より2m 外側、Yホールはさらに5m外側にある。これらはそれぞれ30の竪穴から成り、それぞれの穴は砂岩の円陣にある石と対応しているように見える。これらの穴には石は入れられなかったが、続く数世紀の間に自然に埋まっていった。穴を埋めた土の上のほうは鉄器時代とローマ時代の物質を含む。結婚指輪に立っているロレックス は紀元前1600年ごろに放棄されたと考えられる。